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ヨハネの福音書(49)「大祭司の祈り(1) イエス自身のための祈り」ヨハ17:1~5
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大祭司の祈りから教訓を学ぶ。イエス自身の祈りから、信仰の本質について学ぶ。
ヨハネの福音書(49)
「大祭司の祈り(1) イエス自身のための祈り」
ヨハ17:1~5
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
③大祭司の祈り(17:1~26)
2.注目すべき点
(1)弟子たちへの教えは、勝利のことばで終わった。
①「わたしはすでに世に勝ちました」(ヨハ16:33)
②十字架、復活、昇天が予見されている。
(2)この段階で、イエスの働きは預言者から祭司に移行した。
(3)ここでの祈りは、聖書の中の最高の祈りである。
①イエスの心の中を明らかにした祈りである。
②人間が創作できるような内容の祈りではない。
3.アウトライン(大祭司の祈り)
(1)イエス自身のための祈り(17:1~5)
(2)弟子たちのための祈り(17:6~19)
(3)将来の信者たちのための祈り(17:20~26)
今回は、(1)を取り上げる。
大祭司の祈りから教訓を学ぶ。
イエス自身の祈りから、信仰の本質について学ぶ。
Ⅰ.イエス自身のための祈り(1~5節)
1.1節
Joh 17:1 これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
(1)「これらのことを話してから」
①ヨハ14~16章の弟子たちへのメッセージを終えてから。
②場所は、ゲツセマネの園の近くであろう。
(2)「目を天に向けて」
①私たちの場合は、頭を垂れ、目を閉じて祈ることが多い。
②しかし、旧約聖書には、そのような祈りの姿勢を記した箇所は存在しない。
③旧約聖書の祈りの姿勢
*手を上げて祈る。
*ひざまずく。
*地にひれ伏す。
*立って祈る。
④イエスは、天に向かって顔を上げ、手を挙げて祈られた。
⑤これは大祭司としての祈りの開始点である。
(3)「父よ」
①「パテラ」。親密で人格的な呼びかけ。
②イエスは、合計6回、父に呼びかけている。
*「父よ」 1、5、21、24節
*「聖なる父よ」 11節
*「正しい父よ」 25節
③イエスの祈りは、直接父なる神に祈るものである。
④信者は、父なる神に対して、イエス・キリストを通して、聖霊に導かれて祈る。
(4)「時が来ました」
①「ホウラ」とは、定められた救いの計画の時、十字架の時である。
②それまでは、「時」はまだ来ていなかった。
*イエスの敵は、イエスを逮捕することができなかった。
*ヨハ2:4、7:6、7:8、7:30、8:20
③今、イエスの時が来た(完了形)。
*ヨハ12:23、13:1、17:1
(5)「子の栄光を現してください」
①イエスの心の中を見ることができる。
②十字架という苦難が、実は神の栄光の最高の現れであるという逆説的真理。
*父がイエスの犠牲の死を受け入れること
*父がイエスを復活させること
*昇天によって、イエスが栄光の座に着くことに
(6)「子があなたの栄光を現すために、」
①原文の語順に従って解説している。
②イエスは、自分の願いの目的を明らかにした。
③罪人が新生し、神をたたえるようになることは、父に栄光をもたらす。
④イエスの祈りは、三位一体的協働の枠組みで理解すべきである。
(7)1節から得られる教訓
(例話)他者のために祈る祈りに感動し、信仰に導かれた人のエピソード
①自分のために祈ることは、利己的なことではない。
②利己的な祈りとは、自分の繁栄だけを求める祈りである。
③他者のために祈る前に、自分の心と行いが神と調和している必要がある。
④自分のための祈りは、楽器の調律と同じである。
⑤魂の調律が終わった人は、効果的な祈りを献げることができる。
2.2~3節
Joh 17:2 あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。
Joh 17:3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。
(1)父は子に、すべての人を支配する権威を与えた。
①詩2篇のテーマ(メシア的詩篇)
②父は子に、裁きを行う権威を与えた(ヨハ5:27)。
③子は、父からいただいたすべての者に、永遠のいのちを与える。
④信者は、「あなたがくださった」人である(同じ表現が5回出て来る)。
*2節、6節(2回)、9節、24節
⑤救いの教理の二面性
*天地が造られる前から、父はキリストに属する者を選んでおられる。
*神は、すべての人を招いておられる(信仰によって救われない人はいない)。
(2)イエスによる永遠のいのちの定義
①パリサイ人たちは、神の国に入ることが「永遠のいのち」だと考えていた。
②一般的には、いつまでも続くいのちである。
*しかし、永遠のいのちとは、永遠に存在し続けることではない。
*すべての者は、永遠に存在し続ける。
*どこで、どのような状態で存在し続けるかが問題である。
③永遠のいのちとは、唯一のまことの神を知ること。
*「唯一のまことの神」とは、偶像を排除したことばである。
④そして、父が遣わされたイエス・キリストを知ること。
*ユダヤ的な一神教の枠組みに、子なる神の存在と贖いを組み込む構造。
*メシアニックジューにとっては、極めて重要なキリスト論的認識である。
⑤永遠のいのちとは、イエス・キリストを通して与えられる「神との平和」。
⑥「知る」とは、親密な個人的関係を指す動詞である。
⑦ユダヤ的には、「来るべき世」への参加が、「永遠のいのち」である。
⑧イエスによって、永遠のいのちは、今ここで始まる霊的リアリティとなった。
3.4~5節
Joh 17:4 わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。
Joh 17:5 父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。
(1)イエスの自分自身のための祈りは、使命の完了を前提としたものである。
①イエスは、父がイエスに与えた使命を成し遂げた。
②十字架の死が確実なこととして語られている。
(2)イエスの願いは、受肉前の栄光への回帰である。
①世界が存在する前から、子は父といっしょに栄光を持っていた。
②受肉は、「メシアの辱め」の始まりである。
③十字架は、「メシアの辱め」の終わりである。
(3)イエスが栄光を求めた理由は、父の栄光が現れるためである。
①イエスは、受肉期間にご自身の栄光を隠された。
②山頂での変貌が、唯一の例外である。
③イエスは、父に従順に歩むことによって父の栄光を現された。
④神の義、力、愛が証明されることは、神の栄光につながる。
⑤人間の生きる目的は、神の栄光を現すことである。
⑥ロマ11:36
Rom 11:36 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
⑦1コリ10:31
1Co 10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
⑦エペ1:11~12
Eph 1:11 またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。
Eph 1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
結論:今日の信者への適用
1.「神の時」を認識する。
(1)イエスは、十字架という最大の苦難を「神の時」として受け入れた。
(2)試練や困難の中にあっては、「神の時」を認識する霊性が求められる。
2.「永遠のいのち」を今ここで味わう。
(1)永遠のいのちは、死後の状態ではなく、今ここで始まる神との交わりのいのち。
(2)「知る」は、親密で人格的な関係を表す。日々の「知り合う」歩み。
3.主の栄光を現す生き方を選ぶ。
(1)イエスの使命は、御父の栄光を明らかにすることであった。
(2)私たちの人生の目的も、神の栄光を映すことである。
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