私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q444 神は罪を犯すことができますか。
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444 神は罪を犯すことができるか
Q:ある人がこう言いました。「神様は罪を犯すこともできます。だって不可能はないんですからね。ただ罪を犯すという選択をしていないんです」。この教えは正しいですか。
はじめに
これは、とても悲しい質問です。この人の教えは、重大な誤りを含んでいます。その理由を、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、「神には不可能がない」ということばを誤解しています。
(1)「神にとって不可能なことは何もありません」(ルカ1:37)
(2)神は、ご自分に性質と矛盾したことは行うことができません。
①「神はご自身を否定することはできない」(2テモテ2:13)
②「神が偽ることは不可能である」(ヘブル6:18)
(3)また神は、論理的に矛盾したことを行うことはできません。
①四角い円を作る、神自身を滅ぼす、持ち上げられないほどの巨大な石を造る。
②それらは、論理的に矛盾しています。
2番目に、「罪」とは神の本質と対立するものです。
(1)罪(ハマルティア)とは、神の聖なる本質や御心に反するものです。
(2)神が罪を犯すとは、神がご自身の本質に反する行為をすることを意味します。
(3)これは、論理的に不可能です。
(4)神は聖なるお方(レビ1:44、1ペテロ1:16)
(5)神の本質に罪が入り込む余地はありません。
3番目に、「選択しない」のではなく、「できない」のです。
(1)「神は罪を犯すことはできるが、あえて選んでいない」というのは、誤りです。
(2)「罪を犯すという選択をしていない」のではありません。
(3)「罪を犯すことができない」のです。
(4)それは神の聖なるご性質の必然的な結果であり、「選択の問題」ではありません。
(5)この人の教えは、神の本質を歪め、神を人間のレベルに引き下げるものです。
(6)神学は「ものを扱う学び」ではなく、神という「ご人格を対象とする学び」です。
神は罪を犯すことができません。
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