私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(19)仮庵の祭りでの教え(2)ヨハ7:25~36
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仮庵の祭りでの教えについて学ぶ。
ヨハネの福音書(19)
仮庵の祭りでの教え(2)
ヨハ7:25~36
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
*仮庵の祭りでの教え(7:10~44)
2.注目すべき点
(1)このセクションは、多くの重要な情報を含んでいる。
(2)イエスの本質がより深く啓示されていく。
(3)それと比例して、イエスへの敵意が激しくなっていく。
3.アウトライン :仮庵の祭りでの教え
(1)祭りの雰囲気(7:10~13)
(2)イエスの権威(7:14~24)
(3)イエスの出自と本質(7:25~36)
(4)御霊の約束(7:37~44)
4.結論:イエスが教えた終末論
仮庵の祭りでの教えについて学ぶ。
Ⅲ.イエスの出自と本質(7:25~36)
1.25~26節
Joh 7:25
さて、エルサレムのある人たちは、こう言い始めた。「この人は、彼らが殺そうとしている人ではないか。
Joh 7:26
見なさい。この人は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。もしかしたら議員たちは、この人がキリストであると、本当に認めたのではないか。
(1)イエスの主張(前回の内容)
①自分は、父なる神から与えられた教えを語っている。
②自分には、安息日に癒しを行う権威がある。
(2)イエスが公然と語っているのを見て、人々は驚いた。
①巡礼者たちは、指導者たちがイエスを殺そうとしているのを知らなかった。
②しかし、エルサレムの住民たちは、それを知っていた。
(3)エルサレムのある人たちの疑問
①イエスは公然と、大胆に、人々に教えている。
②にもかかわらず、指導者たち(議員たち)は、この人を放置している。
*指導者たちは、群衆の反発を恐れて、沈黙していた。
③この人がメシアであると、本当に認めたのではないか。
2.27節
Joh 7:27
しかし、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。キリストが来られるときには、どこから来るのかだれも知らないはずだ。」
(1)当時のユダヤ人たちは、旧約聖書に関して無知であった。
①ユダヤ教の伝承では、メシアは突然、神秘的な方法で来られるとされていた。
②彼らは、メシアはベツレヘムで誕生することを知らなかった(ミカ5:2)。
③また、メシアは赤子から成長し、成人になることを知らなかった。
(2)旧約聖書に関する無知は、間違った結論を生む。
①彼らは、イエスがどこから来たかを知っていた。
②イエスはナザレ出身で、母はマリア、父はヨセフである。
③彼らは、イエスがナザレで誕生したと思い込んでいた。
④以上の情報を基に、イエスはメシアではないと結論づけた。
3.28~29節
Joh 7:28
イエスは宮で教えていたとき、大きな声で言われた。「あなたがたはわたしを知っており、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わされた方は真実です。その方を、あなたがたは知りません。
Joh 7:29
わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わされたからです。」
(1)イエスは、信じない人々に大声で言われた。
①大声で言うのは、それが重要な真理だからである。
(2)イエスのことばには、アイロニー(皮肉)が含まれている。
①確かに彼らは、イエスの地上的な出自を知っていた。
*彼らは、イエスのことを「ナザレのイエス」として知っていた。
*しかしこれは、イエスに関する表面的な理解である。
*しかも、イエスがベツレヘムで誕生したという情報が欠落している。
②彼らは、イエスの天的な出自を知らなかった。
*イエスは、自分の権威に基づいて活動しているのではない。
*イエスは、父なる神によって遣わされたメシアである。
③ここには、イエスの神性宣言がある。
*イエスは、父なる神と同じように神である。
*イエスは、父なる神を知っている。
*しかし、イエスを信じない人々は、父なる神を知らない。
*それゆえ、父なる神が遣わしたイエスを信じない。
4.30~31節
Joh 7:30
そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、だれもイエスに手をかける者はいなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
Joh 7:31
群衆のうちにはイエスを信じる人が多くいて、「キリストが来られるとき、この方がなさったよりも多くのしるしを行うだろうか」と言い合った。
(1)人々は、イエスの大胆な宣言の内容を理解した。
①イエスのことばは、冒とく罪に当たる。
②逮捕して、石打の刑に処すべきである。
③しかし、だれもイエスに手をかける者はいなかった。
④神がイエスを守られたのである。
*イエスが十字架に付く時はまだ来ていなかった。
*仮庵の祭りでイエスが死ぬことはあり得ないことである。
(2)群衆のうちにはイエスを信じる者も多く出た。
①彼らは、イエスが行うしるしを見て、イエスはメシアだと信じた。
*イエスは人々を二分する。
②イエス以外にメシアが来たとしても、これ以上のしるしを行うことはない。
*信じるのはよいことであるが、この信仰は不十分である。
*イエスが受難のしもべであることをまだ理解していない。
5.32節
Joh 7:32
パリサイ人たちは、群衆がイエスについて、このようなことを小声で話しているのを耳にした。それで祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスを捕らえようとして下役たちを遣わした。
(1)パリサイ人たちの不安
①群衆が小声でイエスを称賛しているのを聞いた。
②イエスの人気が高まるのを恐れた。
*自分たちの教えに耳を傾ける者がいなくなる。
③イエスを捕えようとして下役たちを遣わした。
*サドカイ人たちと協力して、サンヘドリンの許可を得たのであろう。
*下役とは、神殿警察(レビ人)である。サンヘドリンに報告義務がある。
6.33~34節
Joh 7:33
そこで、イエスは言われた。「もう少しの間、わたしはあなたがたとともにいて、それから、わたしを遣わされた方のもとに行きます。
Joh 7:34
あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません。わたしがいるところに来ることはできません。」
(1)イエスは、下役たちに語られた。
①それは、パリサイ人たちと民衆に向けたものでもあった。
(2)イエスは謎めいた方法で、終末論を語られた。
①イエスに与えられている地上での奉仕の時間は、残り少なくなっている。
②やがてイエスは、父なる神のもとに行かれる。
③そのときになってイエスを捜しても、見つけることはない。
*不信仰な者は、イエスがいるところ(天)に来ることができない。
7.35~36節
Joh 7:35
すると、ユダヤ人たちは互いに言った。「私たちには見つからないとは、あの人はどこへ行くつもりなのか。まさか、ギリシア人の中に離散している人々のところに行って、ギリシア人を教えるつもりではあるまい。
Joh 7:36『あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません。わたしがいるところに来ることはできません』と
あの人が言ったこのことばは、どういう意味だろうか。」
(1)ユダヤ人たちは、霊的盲目状態にあった。
①信じたくなかったので、信じることができなかった。
(2)彼らの疑問
①私たちには見つからないとは、あの人はどこに行くつもりなのか。
②ギリシア人の中に離散しているユダヤ人のところに行って教えるのか。
③さらに、ギリシア人にも教えるのか。
④「あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません」とは、ど
ういう意味なのか。
⑤「わたしがいるところに来ることはできません」とは、どういう意味なのか。
結論:イエスが教えた終末論
1.7:33~34
Joh 7:33
そこで、イエスは言われた。「もう少しの間、わたしはあなたがたとともにいて、それから、わたしを遣わされた方のもとに行きます。
Joh 7:34
あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません。わたしがいるところに来ることはできません。」
2.残されている時間は少ない。
(1)イエスの視点からすると、十字架の時は迫っている。
(2)ユダヤ人の視点からすると、イエスを信じるための時間は短くなっている。
3.イエスは父なる神のもとに行く。
(1)これは、十字架の死、復活、昇天の預言である。
(2)このことばは、パリサイ人たちをさらに怒らせた。
4.ユダヤ人たちは、イエスを捜すが、見つけることはない。
(1)この状態は、イエス時代から今に至るまで続いている。
(2)今でも、大半のユダヤ人たちがイエスを拒否している。
(3)彼らがイエスを見出すのは、患難期の最後の時である。
(4)彼らの祈りに応えて、イエスは再臨される(ゼカ12:10~13、黙1:7)。
5.ユダヤ人たちは、イエスがいるところに来ることができない。
(1)イエスがいるところ(天)に来るための条件は、新生である。
6.イエスの教えから教訓を学ぶことができる。
(1)与えられた機会を生かす人は、幸いである。
(2)「きょう」という機会を逃すなら、2度と機会が来ない可能性もある。
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