ルカの福音書(48)エルサレムへの旅の始まり9:51~56

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ヤコブとヨハネに対するイエスの教えについて学ぶ。

ルカの福音書 48回

エルサレムへの旅の始まり

ルカ9:51~56

1.はじめに

(1)文脈の確認

  ①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)

  ②ルカ9:1~50は、そのクライマックスである。

  ③ルカ9:1~50の中心テーマは、弟子訓練である。

    *教会時代への準備が始まる。

  ④ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まる(ルカ9:51~19:27)。

    *ルカは、エルサレム途上におけるイエスの奉仕を記録している。

    *この部分は、ルカ独特のものである。

    *一部、他の福音書と重複している箇所がある(マタ19~20、マコ10)。

(2)エルサレム途上におけるイエスの奉仕

  ①ルカは、旅の行程や地理的情報に関しては、さほど興味を持っていない。

  ②ルカの興味は、エルサレムにある。

    *フルクテンバウム師は、ルカはユダヤ人だと考えている。

  ③イエスは、種々の機会を用いて弟子たちへの教えをくり返す。

    *イエスの教えをくり返し強調するのは、ルカの視点である。

2.アウトライン

(1)エルサレムへの旅の始まり(51節)

(2)サマリア人の反応(52~53節)

(3)ヤコブとヨハネの反応(54~56節)

3.結論

(1)聖霊降臨前のヨハネと降臨後のヨハネの対比

(2)イエスの旅とパウロの旅の対比

ヤコブとヨハネに対するイエスの教えについて学ぶ。

Ⅰ.エルサレムへの旅の始まり(51節)

1.51節

Luk 9:51
さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。

(1)この旅は、勝利の入城まで続く。

  ①イエスは、十字架に向かって毅然として進んで行かれる。

    *イエスの毅然とした態度は、私たちにとっても教訓となる。

  ②ルカは、受難の先にある復活と昇天まで見通している。

  ③使徒の働きは、イエスの昇天で始まり、弟子たちの宣教活動を描いている。

(2)旅の行程に関して、9つの聖書箇所を紹介する。

  ①9:52では、サマリア人の村に入る。

  ②10:38では、ある村にいる(ベタニア)。

Luk 10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。

  ③13:22では、エルサレムへの旅が続く。

Luk 13:22 イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。

  ④13:32~33では、預言者はエルサレム以外で死ぬことはないと言われた。

Luk 13:32
イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『見なさい。わたしは今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒やしを行い、三日目に働きを完了する。

Luk 13:33 しかし、わたしは今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはあり得ないのだ。』

  ⑤17:11では、サマリアとガリラヤの境を通られた。

Luk 17:11 さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた。

  ⑥18:31では、エルサレムに上って行くと言われた。

Luk 18:31
さて、イエスは十二人をそばに呼んで、彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現するのです。

  ⑦18:35では、エリコに近づかれた。

Luk 18:35 イエスがエリコに近づいたとき、一人の目の見えない人が道端に座り、物乞いをしていた。

  ⑧19:1では、エリコに入られた。

Luk 19:1 それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。

  ⑨19:28~29では、ベテパゲとベタニアに近づかれた。

Luk 19:28 これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。

Luk 19:29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。

(3)ルカの執筆意図

  ①イエスは、公生涯の間にエルサレムを3度訪問された。

  ②イエスのエルサレム訪問を詳細に記録しているのは、ヨハネの福音書である。

  ③ルカは、3度のエルサレム訪問を1度にまとめている。

  ④ルカの記録では、この旅は、受難に向かう最後のエルサレムへの旅である。

  ⑤その道中で、イエスは弟子たちにさまざまな教えを語った。

(4)イエスの教えの新しい展開

  ①イエスは、群衆への教えを離れ、弟子訓練に集中された。

  ②イエスは、弟子たちの奉仕に深い関心を示された。

  ③裕福な者、自己満足をしている者、パリサイ人たちなどへの警告が語られる。

  ④ルカには37のたとえ話があるが、その内の23がこのセクションに出てくる。

  ⑤弟子たちに教え、群衆には真理を隠すためである。

    *弟子とそうでない者の区別が、より鮮明になる。

    *十字架の時が近づいているからである。

Ⅱ.サマリア人の反応(52~53節)

2.52節

Luk 9:52
そして、ご自分の前に使いを送り出された。彼らは行ってサマリア人の村に入り、イエスのために備えをした。

(1)イエスは、ご自分の前に使い(複数)を送り出された。

  ①イエスと12使徒たちのために宿舎と食事を用意するためである。

  ②彼らは、宣教のために送り出されたのではない。

  ③イエスの到来の準備をするという点で、バプテスマのヨハネの奉仕に似ている。

(2)ガリラヤからエルサレムまでは、最短で3日の距離であった。

  ①ヨルダン川東岸のルートとサマリアを通過するルートがあった。

  ②後者が最短ルートであるが、サマリア人の妨害という問題があった。

(3)ユダヤ人とサマリア人の関係

  ①サマリア人は、アッシリア捕囚の時代に出現した混血の民である。

    *前722年に北王国が滅びた。

    *サマリアに残った下層階級のユダヤ人と入植してきた異邦人が結婚した。

  ②ユダヤ人たちは、サマリア人は半分異教徒であると考えていた。

  ③サマリア人たちは、ユダヤ人の聖書を拒否した。

    *モーセの五書だけは認めた。

  ④イエス時代においても、ユダヤ人とサマリア人は敵対していた。

    *ヨハ4:9

Joh 4:9
そのサマリアの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである。

3.53節

Luk 9:53
しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリア人はイエスを受け入れなかった。

(1)使いの者たちはサマリア人と交渉したが、拒否された。

  ①エルサレムから下って来る場合は、サマリア人はユダヤ人の通過を許した。

  ②エルサレムに上って行く場合は、サマリア人はユダヤ人の通過を妨害した。

    *エルサレムで礼拝することに反発していたからである。

  ③サマリア人は、ゲリジム山こそ礼拝の場であると信じていた。

    *ヨハ4:20

Joh 4:20 私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

(2)サマリア人たちがイエスを拒否した理由

  ①イエスがメシア性を主張したから拒否したのではない。

  ②単に、イエスがユダヤ人だから受け入れることを拒否したのである。

  ③彼らは、救い主をもてなすという特権を放棄した。

Ⅲ.ヤコブとヨハネの反応(54~56節)

1.54節

Luk 9:54
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」

(1)ヤコブとヨハネの態度は、極めて敵対的である。

  ①彼らの頭の中には、エリヤの奉仕の事例があったのだろう。

  ②2列1:9~10

2Ki 1:9
そこでアハズヤは、五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂に座っていた。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王のお告げです。下りて来てください。」

2Ki 1:10
エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。

  ③同じことが2度あり、3度目の50人隊の長は謙遜な態度を取った。

(2)イエスの弟子たちは、イエスの奉仕とエリヤの奉仕は似ていると感じていた。

  ①ルカ9:19

Luk 9:19 彼らは答えた。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人たち、昔の預言者の一人が生き返ったのだと言う人たちもいます。」

  ②彼らは、自分たちでエリヤの役割を演じようとした。

  ③彼らは、イエスの意向を尋ねようとはしなかった。

2.55~56節

Luk 9:55
しかし、イエスは振り向いて二人を叱られた。

Luk 9:56
そして一行は別の村に行った。

(1)イエスは、ヤコブとヨハネの態度に不快感を示された。

  ①イエスは振り向いて2人を叱られた。

(2)「叱った」は、ギリシア語で「エペティメセン」である。

  ①ルカ4:35

Luk 4:35
イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、何の害も与えることなくその人から出て行った。

  ②ルカ4:41

Luk 4:41
また悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは悪霊どもを叱って、ものを言うのをお許しにならなかった。イエスがキリストであることを、彼らが知っていたからである。

  ③ルカ8:24

Luk 8:24
そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。

(3)この段階では、イエスの奉仕は裁きをもたらすことではない。

  ①再臨のメシアは、罪人を裁かれる。

  ②私たちの使命もまた裁くことではなく、福音を伝えることである。

(4)一行は、別のサマリア人の村に行き、そこで宿舎を見つけた。

(5)イエスと弟子たちの対比

  ①イエスは、拒否されても復讐しなかった。

  ②これが、十字架に向かう姿勢の反映である。

  ③弟子たちは、サマリア人に反発した。

  ④これは、人種的偏見の反映である。

結論

1.聖霊降臨前のヨハネと降臨後のヨハネの対比

(1)これは、ルカの福音書と使徒の働きの対比でもある。

  ①この出来事から1、2年して、ペテロとヨハネは、サマリアを訪問した。

  ②使8:25

Act 8:25

こうして、使徒たちは証しをし、主のことばを語った後、エルサレムに戻って行った。彼らはサマリア人の多くの村で福音を宣べ伝えた。

  ③ヨハネが火で焼き滅ぼすことを提案した村が含まれている可能性は大である。

  ④野蛮な発言をしたヨハネは、大いに変えられた。

(2)聖霊の力によって、人は変えられる。

  ①2コリ5:17

2Co 5:17

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

2.イエスの旅とパウロの旅の対比

(1)これもまた、ルカの福音書と使徒の働きの対比である。

  ①イエスの旅は、エルサレムがゴールである。

    *それは、受難に向けた旅である。

  ②パウロの旅は、ローマがゴールである。

    *それは、囚人としての旅である。

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