メシアの生涯(177)—過越の食事(5)—

  • 2015.11.09
  • ルカ22章:24〜30、ヨハネ13章:31〜35、ルカ22章:31〜38、マタイ26章:30
  • スピーカー 中川健一
  • ハーベスト定例会
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過越の食事の中に隠されたキリストを発見する。

「過越の食事について」の動画をYou Tubeにアップロードしました。
You Tubeのリンク先です。
https://youtu.be/Z4LTXosrkrE

「過越の食事(5)」

ルカ22:24~30、ヨハ13:31~35、ルカ22:31~38

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①最後の晩餐は、過越の食事であった。

    ②第3の杯の前に、ユダは席を離れた。

    ③第3の杯(贖いの杯)が「契約の血」の象徴となった。

    (2)過越の食事の手順(ロバートソンの順番とは異なる)

      ①食前のことば

②第一の杯

      ③洗足とユダの裏切りの予告(1)

      ④カルパス(野菜)とユダの裏切りの予告(2)

      ⑤2枚目の種なしパン(マッツァ)

      ⑥ハロセットとユダの裏切りの予告(3)

      ⑦第三の杯

      ⑧偉大さに関する教え

      ⑨ペテロの拒否の予告

      ⑩ハレル(賛美)

  (3)A.T.ロバートソンの調和表

    §144bと147

2.アウトライン

  (1)偉大さに関する教え(ルカ22:24~30)

  (2)ペテロの拒否の予告

    ①新しい戒め(ヨハ13:31~35)

    ②ペテロの裏切りの予告(ルカ22:31~38)

  (3)ハレル(賛美)(マタ26:30)

  3.結論:

    (1)ペテロの体験とヨブ記の関係

    (2)1コリ10:13の意味

過越の食事の中に隠されたキリストを発見する。

Ⅵ.偉大さに関する教え(ルカ22:24~30)

   1.24節

  Luk 22:24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。

    (1)ここには人間の心の問題が現れている。

      ①裏切り者が出るという予告があった直後のことである。

      ②第3の杯によって新しい契約が結ばれた直後のことである。

      ③イエスは、数時間後に十字架につけられようとしている。

      ④しかし、弟子たちはメシア的王国がすぐに来ると思い込んでいる。

⑤彼らの関心事は、だれが一番偉いかということである。

  2.25~26節

Luk 22:25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。

Luk 22:26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。

    (1)イエスは、この世と教会(信者の共同体)の違いを教える。

      ①この世では、上位の者が下位の者を支配する。

      ②権威を持つ者は、「守護者」(恩人)と呼ばれている。

      ③彼らは、タイトルが偉大なだけであって、人格が優れているわけではない。

      ④多くの場合、王たちは残酷な者たちであった。

    (2)教会の価値観

      ①偉くなりたいなら、一番年の若い者のようになれ(中東の文化的背景)。

      ②上に立つ人は、身を低くして仕えよ。

  3.27節

Luk 22:27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。

    (1)イエスの手本

      ①イエスは、給仕する者のように歩んで来られた。

      ②イエスは、仕えるために来られた。

      ③イエスに従う者は、イエスを模倣する必要がある。

  4.28~30節

Luk 22:28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。

Luk 22:29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。

Luk 22:30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

    (1)イエスは、弟子たちの献身を高く評価された。

      ①今、弟子たちは、誰が一番偉いかと議論している。

      ②間もなく、イエスを捨てて逃げようとしている。

      ③しかしイエスは、彼らの心を知っておられた。

    (2)献身に対する報償が約束された。

      ①父なる神は子なる神に、メシア的王国での王権を約束された。

      ②イエスは、ダビデの王座に着くために地上に戻ってくる。

      ③その時、弟子たちはイスラエルの12部族を裁く地位に着く。

Ⅶ.ペテロの拒否の予告(ヨハ13:31~35、ルカ22:31~38)

   1.新しい戒め(ヨハ13:31~35)

      ①第3の杯と第4の杯の間に、教えや討論の時間が置かれる。

      ②ここでのイエスの教えは、そのタイミングで与えられたものである。

      ③ユダが出て行ったので、急激に十字架への道が開かれた。

    (1)31~32節

Joh 13:31 ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。

Joh 13:32 神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります。しかも、ただちにお与えになります。

      ①イエスは、十字架の死が目前であることを前提に語っておられる。

      ②この2節に、栄光を受けるという動詞が5回も出て来る(日本語訳は4回)。

      ③栄光とは、イエスの十字架の死を表している。

      ④イエスの死によって父なる神も栄光をお受けになる。神の愛が啓示された。

      ⑤父なる神が御子の与える栄光とは、復活のことである。

      ⑥父なる神は、メシア的王国の成就を待たずして、御子を栄光の座に着かせる。

    (2)33節

Joh 13:33 子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。

      ①「こどもたちよ」(テクニア)とは、「小さな子どもたち」の意。

      ②ヨハネの福音書では、イエスがこの言葉を使うのはここだけである。

      ③弟子たちに対するイエスの心配りが表現されている。

      ④ユダが去ってからこの言葉を使っている。

      ⑤イエスは、この世を去ろうとしている。

      ⑥これは、死、復活、昇天の預言である。

    (3)34~35節

Joh 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

Joh 13:35 もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

      ①モーセの律法では、自分自身を愛するように隣人を愛せ、であった。

*ここでは、隣人愛の命令に新しい要素が加わる。

      ②「わたしがあなたがたを愛したように」

*イエスが隣人愛の手本となる。

      ③誰が一番偉いかという議論とは、180度異なる教えである。

      ④信者のしるしは、外面的な飾りではなく、兄弟姉妹に対する「愛」である。

      ⑤イエスが不在の間、11人の弟子たちは愛を武器として生き延びるのである。

  2.ペテロの裏切りの予告(ルカ22:31~38)

    (1)31~32節

Luk 22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。

Luk 22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

      ①「シモン、シモン」という呼びかけは、イエスの愛を示している。

      ②サタンは、使徒たち全員(あなたがた)を試すことを許された。

      ③イエスは、ペテロ(あなた)のために祈られた。

        *ペテロが使徒たちの代表となっている。

      ④「立ち直る」とは、失った救いを回復することではない。

        *信仰の後退(バックスライディング)からの立ち直りである。

      ⑤「兄弟たちを力づけてやりなさい」。ペテロがリーダーになることの預言。

      ⑥ペテロは、復活のイエスに出会う最初の使徒となる。

    (2)33節

Luk 22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」

      ①ペテロは、自信過剰である。

      ②牢であろうと、死であろうと、どこまでもイエスに付いて行くと言う。

      ③これは、「自分にはイエスの祈りは必要ではない」という傲慢な言葉である。

      ④成長して初めて、自分ひとりで大きくなったのではないことが分かる。

    (3)34節

Luk 22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

      ①マコ14:30

Mar 14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」

      ②「鶏が二度鳴く」とは、時間を示す用語である。

        *一番鶏は、午前0時。

        *二番鶏は、午前3時。

      ③つまり、ペテロの拒否が目前に迫っているということである。

    (4)35~37節

Luk 22:35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」

Luk 22:36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。

Luk 22:37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」

      ①イエスがともにいた時には、財布、旅行袋、くつを持つ必要はなかった。

      ②それでも、不足する物はなかった。

      ③その教えが新しい内容に変更される。

      ④これから先は、必要な物は持つ。

      ⑤剣も、自衛のために持つ。

      ⑥なぜなら、イエスは預言通りに十字架にかかり死んでいくから。

      ⑦文脈が変わると、命令も変化する。

    (5)38節

Luk 22:38 彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、「それで十分」と言われた。

      ①弟子たちは、イエスの言葉を誤解した。

      ②敵と戦い、イエスを守ろうとした。

      ③「それで十分」とは、「It is enough.」である。

        *この話題はここまで、という意味である。

Ⅷ.ハレル(賛美)(マタ26:30)

Mat 26:30 そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。

  1.第4の杯(賛美の杯)

    (1)最後に詩を歌うことを、「ハレル」という。

      ①詩117~118

      ②詩118:1~2

Psa 118:1 【主】に感謝せよ。/主はまことにいつくしみ深い。/その恵みはとこしえまで。

Psa 118:2 さあ。イスラエルよ、言え。/「主の恵みはとこしえまで」と。

      ③これで、過越の食事は終わった。

結論:

  1.ペテロの体験とヨブ記の関係

    (1)イエスはペテロにこれから起こることを予告した。

      ①サタンがペテロを麦のようにふるいにかけることを許された。

      ②イエスはペテロのために祈った。

    (2)ヨブの体験と似ている(ヨブ1:10~11)。

Job 1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。

Job 1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」

Job 1:12 【主】はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは【主】の前から出て行った。

    (3)霊の戦いの内容

      ①神は、ご自分の民を試すためにサタンを用いることがある。

      ②しかしサタンは、ヨブを苦しめる前に神から許可を得る必要がある。

      ③サタンがもたらす苦しみには、ある限界が設けられた。

      ④耐えられないほどの苦しみではない。

  2.1コリ10:13の意味

1Co 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

    (1)クリスチャン生活における試練は、誰もが体験することである。

      ①使徒たちもまた、そこを通過した。

    (2)試練の中での慰め

①神は私たちを、耐えられないほどの試練に会わせるようなことはしない。

②試練とともに脱出の道も備えてくださる。

③大祭司であるイエスが、祈っていてくださる。

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