メシアの生涯(153)—一粒の麦—

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「一粒の麦のたとえ」から、教訓を学ぶ。

「一粒の麦」

ヨハ12:20~36

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①イエスは、メシアとしてエルサレムに入城された。

②それは、ニサンの月の10日。紀元30年4月2日。日曜日であった。

③月曜日に、いちじくの木の呪いと、宮清めがあった。

④きょうの箇所もまた、ニサンの月の11日(月)の出来事である。

  (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §130 イエスに会うことを願ったギリシア人たち

        ヨハ12:20~50

      ①一粒の麦の話(20~36節)

      ②ヨハネによるイエスの公生涯のまとめ(37~50節)

    *今回は、①を取り上げる。

  2.アウトライン

    (1)幾人かのギリシア人の願い(20~22節)

    (2)イエスの回答(23~26節)

    (3)イエスの祈り(27~29節)

    (4)イエスと群衆の対話(30~36節)

  3.結論

    (1)ギリシア人たちが自分からイエスのところに行かなかったのはなぜか。

    (2)天からの声とは何か。

「一粒の麦のたとえ」から、教訓を学ぶ。

Ⅰ.幾人かのギリシア人の願い(20~22節)

   1.20節

Joh 12:20 さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。

     (1)過越の祭りは、3大巡礼祭の一つである。

①ユダヤ人の男性は、エルサレムに上ってこの祭りを祝うように命じられている。

     (2)ここでのギリシア人の登場には、大いに意味がある。

      ①ギリシア人は、古代世界での放浪者、真理の探究者である。

      ②ここに登場するのは、ユダヤ教に改宗したギリシヤ人(異邦人)たちである。

      ③彼らは、キリストを通して神を礼拝するようになる異邦人の象徴である。

   2.21~22節

Joh 12:21 この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。

Joh 12:22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。

     (1)そのギリシヤ人たちが、イエスとの面会を希望した。

①彼らは、ピリポに仲介を依頼した。

②ピリポを「先生(ご主人)」と呼んでいる。非常に丁寧ていねいな言い方である。

③ピリポはベツサイダ出身で、ギリシア名を持つ唯一の使徒である。

      ④「イエスにお目にかかりたいのですが」

    *「君よ、われらイエスに謁(まみ)えんことを願ふ」(文語訳)

    *彼らの言葉は、単刀直入で明快である。

  (例話)講壇の前に、このみことばが置かれている教会

(2)ピリポはアンデレに相談し、2人でイエスのもとに行った。

  ①ピリポは、不安だったのだろう。

    *これまでイエスは、異邦人伝道に消極的であった。

  ②それで、話し易いアンデレに相談したのであろう。

    *仲介を頼まれることは、うんざりするほどあったと思われる。

  ③しかし、この情報によってイエスは十字架の時が近いことを実感するのである。

Ⅱ.イエスの回答(23~26節)

  1.23~24節

Joh 12:23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。

Joh 12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

(1)イエスは、その申し出には答えていないように見えるが、そうではない。

  ①イエスは、「死と復活のプログラム」について預言的に語っている。

②そうすることで、より深いレベルでギリシア人たちの願いに答えている。

(2)「人の子が栄光を受けるその時が来ました」

①「栄光を受ける時」とは、十字架の時である。

②異邦人の来訪によって、イエスは明確に死の時が来たことを認識した。

③恐らくギリシア人たちは、イエスに逃れの道を提供しようとしたのであろう。

④ほとんどの人たちにとって、死とは屈辱の体験である。

⑤イエスにとっては、十字架の死は栄光に至る門である。

  *父なる神に従順であることが、栄光に至る条件である。

    (3)「まことに、まことに、あなたがたに告げます」

      ①厳粛な教えや宣言の前に言う定型句である。

      ②「アーメン、アーメン」

    (4)一粒の麦のたとえ

      ①一粒の麦が地に落ちてしななければ、それは一粒のままで残る。

      ②もし死ねば、豊かな実を結ぶ。

      ③もしイエスが死ななければ、彼一人が栄光の座に着く。

      ④死ねば、その死と復活を通して、多くの新しいいのちが生まれるようになる。

      ⑤その中には、異邦人信者も多く含まれている。

   2.25~26節

Joh 12:25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

Joh 12:26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。

     (1)一粒の麦から導き出される一般原則

      ①ユダヤ的には、「愛する」「憎む」とは、優先順位の問題である。

      ②多くの人たちは、自己中心的な人生を送っている。

      ③その結果、霊的いのちを失っている。

      ④しかし、霊的いのちを優先させる者は、永遠のいのちに至る。

    (2)弟子たちへの適用

      ①霊的いのちを優先させるとは、主イエスに仕えることである。

      ②イエスに従って自己犠牲の道を歩む者に祝福が約束されている。

③これは、より豊かな実をつけるために自我に死ぬという原則である。

  *伝道の実

  *人格の実

④父なる神は、そのような人に報いてくださる。(今も、永遠に至るまで)

⑤しかし、自己犠牲の道は、容易なことではない。

⑥イエスは次の祈りによって、ご自身の心の中を見せる。

Ⅲ.イエスの祈り(27~29節)

  1.27~28節a

Joh 12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。

Joh 12:28 父よ。御名の栄光を現してください。」

(1)父なる神への祈り

①イエスの心は騒いでいる。

*罪人として処刑されようとしている。

      ②自然な思いとしては、苦難と辱めの死を避けたい。

      ③しかし、「父よ。この時からわたしをお救いください」とは言わない。

      ④イエスは、父なる神の御心をよく知っている。

⑤「いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです」

*このことばは、メシアとしてのイエスの確信を表したものである。

⑥「父よ。御名の栄光を現してください」と祈られた。

    (2)私たちへの適用

      ①感情的には心が騒いでいても、神の御名が崇められることを求める。

      ②そのような対応が可能になるためには、みことばを心に蓄えておく必要がある。

      

   2.28b~29節

そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」

Joh 12:29 そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ」と言った。

(1)祈りに対して、父なる神からの答えが返ってきた。

①「わたしは栄光をすでに現したし、」

  *イエスの地上生涯において、神の栄光は現れた。

  *30年のナザレでの隠れた生活

  *3年半にわたる公生涯

  *イエスが行った種々の癒しと奇跡

②「またもう一度栄光を現そう」

  *死、埋葬、復活、昇天を通して、さらに大いなる栄光が現れる。

    (2)そばに立っていた群衆の反応

      ①雷が鳴った。

      ②天使が話した。

Ⅳ.イエスと群衆の対話(30~36節)

   1.30~33節

Joh 12:30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。

Joh 12:31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。

Joh 12:32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」

Joh 12:33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。

    (1)イエスの招きのことば

      ①天からの声が聞こえたのは、その場にいた群衆のためである。

      ②イエス自身は、その声を聞かなくてもよかった。

    (2)「今がこの世のさばきです」

①この世は、イエスのメシア性を拒否し、イエスを十字架につけようとしている。

②その不信仰のゆえに、この世は裁かれる。

(3)「今、この世を支配する者は追い出されるのです」

①サタンは、イエスの十字架の死で自分は勝利したと思った。

②しかし、イエスの死は人類の救いとサタンに対する勝利をもたらした。

③サタンは不法な侵入者であり、支配者である。

④サタンはその権威を失う。

  *判決は確定したが、その執行はまだ途上にある。

  *最終的には、火の池に投げ込まれる(黙20:10)。

    (4)「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き

寄せます」

①「地上から上げられる」とは、十字架の死のことである(イザ52:13参照)。

  *イエスは、ご自分がどのような死に方をするか知っていた。

②その後、すべての人がイエスのもとに引き寄せられる。

*これは、普遍的救いを説いたものではない。

*これは、すべての民族に救いが提供されるという意味である。

      ③これは、ギリシヤ人の願いに対する回答である。

*十字架よって、民族的区別なくイエスのもとに近づけるようになる。

   2.34節

Joh 12:34 そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は上げられなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれですか。」

     (1)群衆にはイエスの語った内容が理解できない。

①彼らは、メシアは死なないと教えられていた(イザ9:6~7、ダニ7:14)。

②もしイエスがメシアなら、なぜメシアが死ぬのか。

      ③彼らは、メシアの初臨と再臨を区別していなかったのである。

   3.35~36節

Joh 12:35 イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。

Joh 12:36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」/イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。

     (1)群衆は、イエスの語っていることは知的に難解であると言った。

      ①今も、多くの人たちが同じように不満を口にする。

    (2)イエスは、問題は倫理的、道徳的なものであると教える。

      ①光と闇のテーマが繰り返される。

      ②イエスは光である。

      ③その光が間もなく消え、闇が襲おうとしている。

      ④光のある間に、光の子どもとなるために、光を信じなければならない。

      ⑤いつでも決断できると考えるのは、愚かなことである。

      ⑥今は「恵みの時、救いの時」である。

結論:

  1.ギリシア人たちが自分からイエスのところに行かなかったのはなぜか。

    (1)行けなかったのである。

    (2)ギリシア人が入れるのは、異邦人の庭までであった。

    (3)その先に、婦人の庭、イスラエルの庭があった。

    (4)異邦人の庭とその先の庭の間には、隔ての壁が置かれていた。

      *それを超えて行くことは、死罪に当たる。

    (5)エペ2:14~16

Eph 2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、

Eph 2:15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、

Eph 2:16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

      ①十字架によって、隔ての壁はうちこわされた。

      ②その結果、ユダヤ人と異邦人は「新しいひとりの人」となった。

③両者は、同じ原則によって、神と和解させられる。

    (6)エペソ書執筆時点では、パウロはローマの獄中にいた。

      ①彼は、異邦人を神殿に引き入れたという罪でユダヤ人たちから訴えられていた。

  2.天からの声とは何か。

    (1)これを、バット・コルという。

    (2)バット・コルは、3回聞こえた。

      ①洗礼の時(マタ3:17)

②変貌山において(マタ17:5)

③一粒の麦の話に続いて(ヨハ12:28)

    (3)この超自然的な声は、人々にイエスに関する真理を教えるためのものであった。

①しかし、その意味を理解した者は少なかった。

    (4)今も、霊的な事項に関して合理的な説明をする人が多くいる。

      ①いくら福音を伝えても、心の動かない人がいる。

      ②伝道の主体は、聖霊である。

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