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出エジプト記11:9 〜 10

9 【主】はモーセに仰せられた。「パロはあなたがたの言うことを聞き入れないであろう。それはわたしの不思議がエジプトの地で多くなるためである。」

10 モーセとアロンは、パロの前でこれらの不思議をみな行った。しかし【主】はパロの心をかたくなにされ、パロはイスラエル人を自分の国から出て行かせなかった。

9 つの災いのまとめ

かたくなな心

9 〜10 節は、これまでにエジプトを襲った9 つの災いのまとめの記事である。「【主】はモーセに仰せられた」とあるが、これは過去完了形に訳すのがよい。つまり、「【主】はモーセに語っておられた」ということである(出7:22 参照)。【主】がモーセにあらかじめ語っておられた内容は、以下のようなことである。(1)パロはモーセの要求にも警告にも耳をかたむけないであろう。このことばの通りに、パロは最後まで心を頑なにしたままであった(出4:21 参照)。(2)パロの心が頑なになった結果、【主】がなさる不思議が9 回にわたってエジプトの地で行われた。「それはわたしの不思議がエジプトの地で多くなるためである」とあるとおりである。そして今、10 番目の災いがエジプトに下ろうとしている。(3)「不思議」と訳された言葉は、ヘブル語で「モフェット」である。これは、不思議、奇跡、しるし、などと訳される。「しるし」というのは、【主】の御業であることを証明する奇跡という意味である。

私たちへの教訓

「モーセとアロンは、パロの前でこれらの不思議をみな行った」(10 節)。(1)モーセは、パロが心を頑なにしたために多くの教訓を学んだ。もし最初から事態が順調に進展していたなら、彼は傲慢ごうまんになっていたことであろう。しかし、思いどおりにならなかったので、彼は多くの教訓を学ぶことができた。(2)その教訓の1つが、「神に従うことには犠牲が伴う」ということである。途中で任務を放棄しそうになることもあったが、モーセは最後までやりげた。主イエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(マタ16:24 〜25)と言われた。私たちも、このことばを真剣に受け止めよう。(3)「しかし【主】はパロの心をかたくなにされ、パロはイスラエル人を自分の国から出て行かせなかった」(10節)。パロが心を頑なにしたので、【主】は彼の心をより頑なにされた。その意味は、【主】はパロが頑なになることを許されたということである。
私たちの人生にも不可解なことは起こる。しかし、神の許しなしに起こっていることは何もない。【主】の主権を認め、【主】を恐れることを学ぼう。【主】は、私たちの人生を最善へと導かれるお方である。

きょうの祈り

天の父よ。パロが心をかたくなにしたのは、私にとっては不思議なことです。その背後にあなたの主権があったことを認めます。きょうも【主】を恐れることを学ぶことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

申命記5~6、詩篇23 ~ 24