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マタイの福音書27:55 ~ 60

55 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。

56 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。

57 夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。

58 この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。

59 ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布あまぬのつつみ、

60 岩をって造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。

イエスの埋葬

ガリラヤの女たち

イエスが十字架につけられる様子を、遠くからながめているガリラヤの女たちがいた。特に3 人の名が上げられている。マグダラのマリア、ヤコブとヨセフとの母マリア、ゼベダイの子らの母。ゼベダイの子らとはヤコブとヨハネのことで、その母の名はサロメである。彼女はイエスの母マリアの姉妹である。つまり、ヤコブとヨハネは、イエスの従兄弟だったのである(マコ15:40、ヨハ19:25 参照)。この3 人の女たちは、イエスの死と埋葬の様子をしっかりと見ていた。その結果、イエスの復活を目撃する最初の証人たちとなる特権を与えられた。彼女たちの献身的な姿勢から教訓を学ぼう。

アリマタヤのヨセフ

イエスは、金曜日(備えの日と呼ばれている)の午後3 時に息を引き取った。それから約3 時間後には日没となり、安息日が始まる。通常の安息日でも、死体をそのまま放置することは、ユダヤ人にとって考えられないことであった。ましてや、その年(紀元30 年)の安息日は、祭りと重なる「大いなる安息日」であった。十字架にかけられた死体は、なんとしても日没前に取り降ろさねばならない。
アリマタヤのヨセフというサンヘドリンの議員が、イエスのからだの下げ渡しをピラトに願い出た。彼は、アリマタヤ出身の金持ちのユダヤ人で、ひそかにイエスの弟子となっていた(マタ27:57、マコ15:43)。他の議員たちの行動に同意していなかった彼は、ピラトの許可を得て、イエスのからだを十字架から取り降ろし、亜麻布に包み、自分の墓に納めた(イザ53:9 の預言の成就)。ニコデモもそれに協力した。アリマタヤのヨセフとニコデモは、それまでは隠れた弟子であった。しかし、イエスを埋葬することによって、ついに自らの信仰を公にした。それは、彼らにとって「決断の時」となった。
埋葬をもって、イエスの「はずかしめの時」は終了した。誕生から十字架に至るまで、イエスは私たちを救うために「辱めの生涯」を送ってくださった。死体の埋葬は、「辱めの時」の終わりであると同時に、「栄化」の始まりとなった。アリマタヤのヨセフとニコデモの勇気ある行動は、主イエスの栄化への第一歩を用意するものとなった。彼らの名が、歴史に留められたのも当然である。私たちは、何を後世に残そうとしているのだろうか。この二人の信仰から、「決断の時」について、「献身」について、教訓を学ぼうではないか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。アリマタヤのヨセフは、自分を守ることよりも、主を愛することを選び取りました。どうか私も、彼らのように主を愛することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記 25~26、マルコの福音書 9