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マタイの福音書27:31 ~ 32

31 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。

32 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。

ゴルゴタへの道

十字架を負って

死刑判決を受けた者は、十字架を負って刑場まで歩くことになっていた。十字架刑は、見せしめの刑である。広げた両手の上に十字架の横木をせ、それをロープで縛った。ゴルゴタ(刑場)に至る約700 メートルの道を、ヴィア・ドロローサ(苦しみの道)と言う。刑場に着く前にむち打たれるのは例外的なことだが、イエスの場合は、それが起こった。そのため、イエスの身体は出血多量で瀕死ひんしの状態になった。心拍数は極端きょくたんに上がり、意識は朦朧もうろうとし、イエスの身体は、刑場まで重い木を負って歩ける状態ではなかったのである。それを見たローマ兵は、そこに居合わせたシモンという男に、イエスの十字架を無理やりかつがせた。これは、イエスが途中で死んだなら、十字架刑の目的が達成できないからである。

クレネ人シモン

シモンは、クレネ(北アフリカの海岸都市)出身のユダヤ人であった。過越の祭りの時期、世界中からユダヤ人の巡礼者たちがエルサレムに上って来た。シモンもまた、そのようなユダヤ人の一人であった。彼は、マルコ15:21 によれば、アレキサンデルとルポスの父である。また、アンテオケ教会の指導者の一人、「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使13:1)とも考えられる。彼は、初代教会の中で有名な人物となった。
すべては、無理やり十字架を担がされたところから始まった。それは、支配者ローマによる強制労働であったが、同時に、神の摂理でもあり、この上ない特権でもあった。クレネ人シモンは、ゴルゴタまで十字架の横木を担ぎ、イエスが十字架にかけられる場面を目撃した。普通は、十字架につけられた囚人は、あまりの痛さに、うなり声をあげ、見ている人々を罵倒ばとうするものである。しかし、イエスの場合は、自分を十字架につけている人々の罪が赦されるようにと祈られた。それを見たシモンは、この方こそメシヤであると確信したのであろう。ローマ人への手紙1 章によれば、ローマの教会は、使徒たちによってではなく、一般のユダヤ人信者たちによって設立されためずらしい教会であることが分かる。ローマの教会の設立メンバーの中には、クレネ人シモンの家族が含まれていた(ローマ16:13 には、ルポスという名が出ている)。無理やり十字架を負わされたことが、このような祝福につながった。ここにも、苦難が祝福をもたらしたという例がある。神は、私たちを見捨ててはおられない。苦難の時には、神のことばの確かさを確認し、忍耐を学ぼう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私もクレネ人シモンのように、主の十字架を負って歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記 11~12、マルコの福音書 4